2017年4月15日


This is not M****y.

2017年4月3日

 以前、好きな作家に会えるチャンスがあるのなら、生きているうちに会うべきだ、というような文章を、そのときの自分の気持ちを言葉に表そうとして、ブログに書いた。
 いま思うと、それは単に、なにか意味や目的がなければ動けない自分を鼓舞するために後づけで考え出した理由のようにも思える。好きな作家に会えるチャンスがおとずれても、それだけでは私は動けない。自分の行動を正当化する理由が要る。どうでもいい理由ではダメで、自分自身で納得できる理由が必要になる。
 そうまでして会えた作家が自分の期待に必ずこたえてくれるとは限らない。自分の理想と、現実の落差に、失望させられることもある。(※1)
 当然だが、私の理想は一方的なもので、好きな作家がこちらの理想や期待に(こたえてくれれば嬉しいが)こたえてくれなくても、仕方ないことだ。残念だ、という悲しみや失望の気持ちは、なかなか抑えがたいものがあるが。(※2)

 最近、よく考えることは、好きな作家に会えるチャンスがあっても、あえて会わない、というもうひとつの選択肢だ。つまるところ、書かれた小説が作家に先立つ、という考えだ。

 たとえば、もしミヒャエル・エンデに会える機会がおとずれたら、どうだろう? これは大いに悩むところだ。私は私という存在に核のようなものがあるとするならば、その一部分は、ミヒャエル・エンデでできていると考えている。(※3)
 ウィリアム・フォークナーや大江健三郎やドストエフスキーは、どうだろう? おそらく、ドストエフスキーの場合は、運良く気に入られても、「カネを貸してくれ!」といわれるのが落ちだ。こんなふうに他人の人生をまとめるのはよくないことだが、彼の一生は、カネの無心とギャンブル、そして文学にささげられたのだ。

 このエントリについて、加筆したいところもあるので、またいつか書こう。


※1 いちおう補足しておくと、トーク&サイン会でお会いしたスティーヴ・エリクソンさんと、翻訳家の越川芳明さんは、素敵なかたでした。
※2 ひとでなしを売りにした小説ばかり書いている作家が、会ってみて、意外とまともな人だった場合、逆にがっかりする読者も現れるかもしれない。
※3 正確に記すなら、それは『はてしない物語』であり、『ネバーエンディング・ストーリー』のことだ。 

2017年4月1日


このブログでは、正面を向いた人物の絵を載せることが多いので、横向きの絵も載せてみる。

2017年4月1日

サーバルちゃん。

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